頭のなかみをそのまま筆に

東大生の頭の中、少しおすそ分け。

現代無神論合理説

今回は神や宗教について私の考えを紹介したいと思います。(前の話をまとめたものですね)

宗教と神は切り離せないものですが、特に神について考えたていきたいと思います。

 

 

神はいるのか、いないのか

宗教、信仰には様々なとらえ方があります。もうそれはそれはありすぎてどれを基準に議論を始めたらよいかわからないほどです。今回は最もメジャーでありながら対立しているであろう二つ、有神論と無神論について考えていきたいと思います。

 

 

まずは有神論の一例。

リチャード・スウィンバーンを第一人者とする哲学的有神論があります(1)。これは「神は存在する」という仮説の真である確率が真でない確率よりも高いということを、帰納法を用いた確率計算で証明します。

しかし、これは「神は存在する」確率が1/2以上であると言っているのであり、神が存在すると断定できはしないでしょう。また、仮説hに対する11種の証拠eには神や宗教的なものが多く、もしその他の無関係な事象、例えば天気や人口、服装や腹の減り具合まで、を細かくすべて含めると率確率P(h|e&k)は収束しないのではないかと思います。

 

次に無神論の例。

最も早い時期に無神論を唱えた思想家の一人のドルバックは唯物論の立場をとりました(2)。宗教の支配力が強かった18世紀に、自由な空気の下で最新の自然科学を学んだ彼は宗教による迫害に抵抗し科学的知識の進歩を信じました。自然学の知識や経験を重視し、宗教の根底にある超自然的なものを否定しました。

「神は死んだ」の言葉で知られるニーチェは近代においてキリスト教を批判しました(3)。時代の進歩によりキリスト教の宗教観と近代人の倫理や精神との乖離が大きくなり、既存の宗教の価値がかわったゆえのニヒリズムです。

これらは科学の発展や人々の価値観の変化によりそれまでの宗教の考えと対立した結果生じた考えです。新たな時代の新たな宗教観であり、神の存在を議論するものではありません。

 

注)唯物論とは、 観念や精神、心などの根底には物質があると考え、それを重視する考え方。

ニヒリズムあるいは虚無主義とは、この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。

 

現代無神論合理説

さて、正直なところ私は神は存在するともしないとも断言できません。どっちだっていいとも思います。

だがしかし、現代においては神は存在しないと考えるほうが合理的である、と考えています。現代無神論合理説と称させていただきます。

先ほど紹介した無神論と同じではないかと感じるかもしれませんが、先人たちの無神論は宗教との対立や宗教批判によるものであり、私の考えは神の存在のみについて論じるものです。アプローチの仕方が違います。

ではこの現代無神論合理説を思考実験により理論的に解説していきたいと思います。

 

まずは、”神”はいないとしましょう。(一般にいう神は概念としての神で、ここでの”神”は具体的な存在の神/神々ということとします。)

神と宗教はどちらが先に生まれたものかは定かではありませんが、どちらも歴史は古く、旧石器時代にまでさかのぼります。宗教は人間の集団生活において社会の統制や対立解消、集団の団結の手段として用いられてきました。メソポタミアや古代エジプトでは神政が行われたほどです。そしてその宗教信仰の対象が神です。神は絶対的超越的な存在であり、超越的な力を持つとされています。

では現代においては統率の手段としての宗教は必要でしょうか。私たちは国家や民族など所属しうる集合体があり、また集団がうまく機能するための社会的基盤も発達しております。その意味で宗教もその信仰対象の神も必要ありません。

また科学の発展により人知を超える(とされる)現象も少なくなっています。干害の時に雨ごいの儀式や生贄をささげるようなことはしません。昔は神の力によると考えられた、人間が理解できない物事がますます減っているのです。もはや神は不必要になったというわけです。

 

次に、”神”はいるとしましょう。

”神”や”神”の意志を信じるということは自己や理性を放棄することと同義です。私たちの考えや行動、結果はすべて”神”の意志ということになります。それならばたった今、私や読者の皆さんが導こうとしている、”神”はいないという結論も”神”の意志ということになります。”神”は自ら望んで自分は存在しないことを証明しようといている。これは非常に非合理的で矛盾しています。

 

結論

以上より、神は現代では不必要であり、”神”は自己矛盾な存在です。ゆえに、現代において神は存在しないと考えるほうが合理的である、ことを言えたのではないかと思います。

もちろん何度も言うように神の存在を断定はできません。ただ、合理的であるというわけです。

有神論者も無神論者も汎神論者も唯物論者も、無数の多様な立場で考えて議論してなお結論が出ない。このこと自体が人知を超えているといってもいいのかもしれない。神について考える時そこに神が存在する、ということかもしれませんね。神のみぞ知る。蟹の味噌汁。 

 

終わりにー映画「神は死んだのか」感想

「神は死んだのか」という映画があります。原題"God's Not Dead"

映画で宗教議論が見られるのかと楽しみに見ましたが、キリスト教賛美の映画で少し拍子抜けしました。レビューの点数が低いのもうなづけます。ただ中盤までのキリスト教信者の学生と反神論者の教授の言葉の掛け合いはとても知的で面白いものでした。アメリカでは結構人気みたいで第3作目が今年公開されました。多くが無宗教である日本人が見たら違和感のある物語でも、キリスト教徒が見ると気持ちがいいものなのでしょうか。興味深いですね。

 

参考文献

1)哲学的有神論における神の存在の帰納的論証の方法論的考察 : リチャード・スウィンバーン『神の存在』に基づき

   三宅 威仁, 2015-12-15

http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015542

2)ドルバックについての一研究 : その無神論

   宇津木 正, 1-Jun-1960

http://doi.org/10.15057/3593

3)ニーチェの倫理思想(四) : 「神は死んだ」

   水野 清志, 1979-03-15

http://hdl.handle.net/10091/5053